雑な理解をやめたい
ここ最近、自分は大雑把に世の中を捉えすぎているんじゃないか、と思う事が多い。
何故そう思うようになったのか分からないが、
ここ数年ネット上のニュースや噂話に一喜一憂しっ放しで、
正しいかどうかも分からない情報に気持ちを揺さぶられる事に
ほとほと疲れたのかもしれない。
「データ」「知識」「意見」「感想」がゴチャ混ぜになった情報に触れ続けてると、
思考力が濁って、自分が今何を考えてるのかも分からなくなって、意欲も落ちてくる。
あまり良い状態じゃない。
やがて、短絡的で間違った、解像度の低い理解をベースに、喜んだり悲しんだり怒ったりするのは
意味がないのではないかと考えるようになった。※
多分、自分でろくに情報を吟味せずに真に受けるから疲れるんだろう。
どうせなら、自分で「事実」だと納得できるような情報に辿り着きたいと思う。
たとえそれによって負の感情が生まれたとしても、
事実に直面した上で生まれる感情には価値があると思う。
誰かがパッと撒いた情報を、
情報源を確かめたり、因果関係や論理の流れを順番に追ったりせずに
瞬間的に「理解」してしまい、それを元にお気持ちを述べるような事を、
今後は出来るだけしたくない。
昔は十分な「知識」があれば理解を間違えることは無いだろうと思っていたが、
結局知識は正しい情報へ素早くアクセスするためのショートカットに過ぎない。
正しいリンク先を指してると思っていたショートカットが
実は位置情報が更新されていた(つまり間違えていた)、なんて事もよくあるだろう。
知識そのものは情報ではないし、ましてや「真実」では決してない。
知識だけを基に物事を理解しようとする人は、
勉強もせず、ろくに調べもせずに感想だけを述べる「ニュースに一言おじさん/おばさん」と
本質的に変わりないだろう。
横着している、という一点において。
お気持ちばかり述べていてもしょうがないので、「解像度の高い理解」の一例を紹介したい。
「ヒマワリの花は何故太陽の方向を向くのか?」という問いがあったとする。
殆どのネット記事では「そのほうが沢山太陽光を浴びる事が出来て、成長しやすいから」
程度の説明で終わり、読者もそれを読んで理解した気になると思う。
しかし、この説明では「どうやって太陽の方向をヒマワリが検知し、何故そちらを向けるのか」
についての説明がなされていない。つまり雑な理解と言わざるを得ない。
より正確には、「日光を浴びるとオーキシンという光を避ける性質のあるホルモンが分泌され、茎の光が当たらない側に移動する。すると、日陰側の茎の方が早く成長するため、結果的に太陽の方向に向かって茎が曲がる」
という説明になる。
回りくどくてかえって分かりづらくなっている気もするが、
「解像度の高い」とは恐らくそういう事だ。
説明する側だけでなく、読み手にも少なからず負荷がかかる。
だからネットでは(現実でも)、こういう説明は嫌われるのだろう。
やはり解像度の高い理解をするためには、根気良く調べるための「筋力」が必要だ。
筋力なので、一定のトレーニングを積まないと脳みそに付かない。
本来であればそのトレーニングを大学で積むべきだったが、アホな事に
大学での勉強を受験勉強の延長として捉えてしまい(というかそれすらせずに)、
知ってると賢そうに思える知識を詰め込む事しかやってこなかった。
もっと泥臭く因果関係を辿って納得のいく事実を発見する、という行為を練習すべきだった。
後悔しても仕方ないので、これからは自分の意思決定に関わる情報は
本やメディアを鵜呑みにせずに、納得がいくまで調べるようにしたい。
もしくは、初めから「あなたの感想ですよね?」の一言で終わらせて真に受けないようにしたい。
という意思表明でした。
※笑う、は別。雑な笑いと解像度の高い笑いは質が異なるし、どちらもあればある程良いものだと思っている