俺には勉強しかない

140字のその先

ブログが怖い

ここ数ヶ月ブログの更新を怠っていた。
忘れていた訳ではなく、記事を書くにあたって、
文章の読みやすさとか、価値ある情報を提供するだとか、主義主張/論旨に一貫性を持たせるだとか、
そういうこだわりをどうしても抱いてしまうせいで、
記事を一つ書き上げるのに凄まじい気合いと時間を消費してしまい、
その結果ブログの管理画面を開くのさえ億劫になってしまったのだ(しかも記事の質が消費した気合いと時間に伴っていないのが何とも悲しい)。

だから、頭の片隅にはいつも記事を書かなきゃ、って罪悪感みたいなのがあったし、
「どうすれば継続して記事を書けるのか」をたまーにチラチラ考えていた。

その結果、以下の結論に落ち着いた。

  1. 「クソ記事」を書く
  2. 1記事あたり1000字以内に抑える
  3. Twitterの延長として捉える

この3つである。

「クソ記事」を書く

まず、自分にとっての「クソ記事」とは何かを定義してみる。
クソ記事とは、「読みづらく、有益な情報を提供しない、読み手の時間を奪うだけのWeb上の記事」である。

自分はこのクソ記事を書く事に根源的な恐怖心を抱いていた。
自分が書いたクソ記事が誰かの貴重な時間を奪うのが耐えられなかったからだ。
だから、記事は出来るだけ分かりやすく、論理的にかつ詳しく書いて、読み手に有益な情報を提供するものでなければならない、という一種の強迫観念があった。

だが最近、そんな強迫観念は捨ててもいいんじゃないかと思ってきた。

まず第一に、自分の経験に照らし合わせても、インターネットで過ごす時間は有益になり得ないと思うからだ。
ネットサーフィンをしている人間の注意力は散漫で、飽きっぽく、理解力も通常より下がってる状態だ。
そんな人間に「有益な情報が」「分かりやすく」「論理的に」「詳しく」書かれた文章を読ませたところで、果たしてどれだけ理解してくれるだろう(その最たるものが学術論文である。普段ネットサーフィンしてる時に論文を読む人がいるだろうか)。

そして、長年インターネットをしている内に、ネットサーフィンをしている人間は、別に時間を有効に使おうとも、有益な情報を沢山収集しようとも思っていない事に気づいた。
それどころか、「暇つぶし」の言葉通り、頭を使わずに時間を浪費する事を望んでいる事が次第に分かってきた。

インターネット上にいる時の我々は例外なく疲れていて、瞬間的な快楽を求めて面白いニュース、日常から離れた恐ろしい出来事、美しい女性(男性)、可愛い猫、愚かな人間による愚かな行為、そして自分が少し賢くなったと思わせてくれるようなライトなエッセイを探し回るゾンビみたいなものだ。

そんな人達に有益な情報を提供しよう、とか思わなくていいんじゃないかと最近思ってきた(そもそも、有益な情報を探してる人間がブログなんか読まない。ましてや俺の)。
むしろ、散漫で、簡素で、支離滅裂な文章の方がインターネットをしている時の精神状態に合っていて
逆に読みやすいんじゃないだろうか。

だからクソ記事を書く事は別に悪い事ではなく、むしろインターネットをにぎやかす善行なのである(支離滅裂)。

1記事あたり1000字以内に抑える

大学生の頃は3000字のレポートでもヒーヒー言っていたが、自分の考え・主張を表現しようとすると、意外と300字くらいすぐに超えてしまう。
単純に考えて、1記事あたりの文字数が多いほど、記事を書く時間が長引くので、結果ブログが続かない原因となりやすい。

なので最初から1記事あたり1000字以内に抑える、と基準を設けておけば、
記事を書くスピードが上がり、よりブログを続けやすくなるのではないだろうか。
ちなみにこの記事は今の時点で1500字超えてる。

Twitterの延長として捉える

ようするに誰も読んでいない前提で記事を書くという事である。
誰も読んでないという事は、他人に配慮する必要なく、思いつきで自分の言いたい事を書き殴れるという事だ。
事実、アクセス数を見るにこのブログは誰も読んでないし…(むしろtwitterの方が人の目に付く機会がずっと多い気がする)


以上、この3つを念頭に、これからはもう少し頻繫にブログを更新したいと思う。

それと、「ブログ書いてアフィリエイトで一山当てよう」なんていうスケベ心は消し去った方が良いと思う。ブログを続ける上では。
ここ最近の話ではないが、インターネットが個人の感性や思想を自由に発露させる場ではなく、隙あらばマネタイズしてやろうという窮屈でいやらしい空間になってしまっている気がする。

このテーマで1つ記事を書きたいと思っているが、金銭が発生する事によって生まれる心労やリスク、消えてしまう精神的自由や面白さは"ある"と思っていて、インターネットの先人たち(主に00年代のVIP、ニコニコを指す)もそれに気づいていたと思う。
そして、偉大な先人たちは俺たちに文化的遺産を遺してくれた。無料で!
俺一人でもその精神は大事にしていきたい。とはいえ金は欲しいなーーー