俺には勉強しかない

140字のその先

管理したくない病

『もし8時間、木を切る時間を与えられたら、そのうち6時間を私は斧を研ぐのに使うだろう。』

リンカーン


タスクが増える程、計画と管理が必要になる。
しかし、タスクが増える程、計画と管理に費やせるリソース(時間と気力)が少なくなる。
計画を練る時間があったら少しでも作業せねば、という言い訳のもとに、

状況を分析する、タスクを洗い出す、優先順位を決める、
段取りを決める、見積もりを出す、間に合わなそうならリスケする、

などといった、最低限やるべきマネジメントを放り出す。
その結果、タスクへの対応は場当たり的で気まぐれな、非効率なものとなる。
取り組み方が非効率なので、ますますリソースに余裕が無くなる。
そしてますます計画と管理をしなくなる・・・



ここ数ヶ月、上に書いた負のループに陥っていた。
仕事でもプライベートでも、複数のプロジェクトとタスクが並走する状態の中、
俺は不貞腐れて、管理をやめてしまったのだ。

自分の役割に責任を持ち、状況を把握しコントロールする代わりに、
自分の周りを加害者に仕立て上げる事を選んでしまった。

惨めな事は自覚していたが、ある時からタスク管理、スケジュール管理が怖くなって、
無意識にそれを避けるようになってしまった。
きっかけは分からない。「この仕事は俺には出来ないかもしれない」という
恐れが出てきたからかもしれない。

実際、ここ最近は、仕事とプライベートの両方で、自分のキャパシティを超えるプロジェクトを抱えていた。
やるべき事と、残された時間を明らかにしてしまうと、失敗が現実のものになってしまうような感覚があった。


今振り返ってみると、時間に余裕があろうがなかろうが、その仕事が自分に出来ようが出来まいが、
計画と管理はすべきだったと思う。

これは理想論として言っているのではなく、完璧じゃなくてもいいから、
現状把握とやるべき事の整理に少しでも時間を割いていたら、
あんなに無駄に苦しまなくて済んだのでは、という反省。


そもそも、能力にもリソースにも限りがある以上、自分に出来ない事があるのは当たり前だ。
「自分には出来ません」と正直に相手に伝えるのもプロの仕事だと思い知った。
出来ます→やってみたけどダメでした、はプロ失格である以前に、嘘吐きだ。
嘘を吐いてお金を貰ってる訳だから、詐欺師でもある。


そして、俺は気合いとか根性とか、火事場の馬鹿力とか、
そういったメラメラかつフワフワした概念が
リソース不足と管理不足をうやむやにしてくれる事に期待していた。

とりあえず一生懸命やってれば計画と管理は不要だと無意識に思っていた。

実際のところ、そう言った考えは有害である事が分かった。
考えもなしに無理をするのは、結局はリソースの前借りであり、無駄遣いでしかない。



いかにタスクとスケジュールを管理するか、今のところ俺はマジで分からない。
今までの人生で成功した試しがない。

しかし、これからは、最低でも全体の1割の時間を、計画と管理に使おうと思う。
10時間働くなら1時間、10分働くなら1分は
状況分析、タスク管理、スケジュール管理「だけに」使う。

そう決め打ってしまえば、あの状況に振り回されるだけの惨めさを少しは回避できる気がする。
細かい管理手法は、やりながら勉強する。


少なくとも今回分かったことは、計画と管理は、省略出来ない。