俺には勉強しかない

140字のその先

インターネットが息苦しくなったのは何故か

インターネットの息苦しさの正体は、「匿名をやめろ。顔を晒せ。」という圧力である。

その圧力が段々と強くなってる。


00年代以前と違って、今のインターネットは匿名に厳しい。

自分について何も明かそうとしないアノニマスは、「インターネットの塵」と見做され、いずれ誰からも見向きもされなくなる。

そして現実世界の10倍の早さで歳を取り、忘却され、風化していくのだ。なおかつ、現実世界と異なり痕跡すら残らない。


また今のインターネットは、「名無しの人気者」「匿名の成功者」を絶対に許さない。ネット上での影響力が強くなる程、「あなたは誰なの?顔を見せて頂戴!あと名前と経歴も!」とアンチからもファンからも要求され、情報の身ぐるみを剥がされにかかる。


つまり、今のネットユーザーは、「暴露」と「風化」の両端の磁場から引っ張られてる状態だ。


そして、インターネットユーザは趣味嗜好だけで無く、情報の開示度合いによっても階層化され、分断されていく。

顔写真とローマ字の本名で設定されたアカウントは、もはやbioが数文字のアニメアイコンとは仲良く出来ない。


細かく分断された狭い世界で、顔を晒すか、忘れ去られるかの選択を無言で迫られる。今のネットユーザーがいるのはそんな環境ではないか。

 


しかし、インターネットの息苦しさは時代の流れだけが原因では無い。

世代を問わず、息苦しさなど全く感じずに今のインターネットを存分に満喫してる人たちは沢山いる。

顔写真をプロフィールに設定し、実生活とネットが強くリンクしている(依存しているという意味では決してない)、いわゆる陽キャだ。

 

彼らはネットでのリアルの開示と、リアルでのネットの開示が完了しているので、「顔を晒せ」という圧力と、それに伴う息苦しさを感じるはずが無い。そういう概念すら無い。顔を見せてって言われて何が困るの?


つまり、息苦しさを感じるのは「自分を認めてほしい」という承認欲求、「顔を見せたくない」という匿名願望、この2つの相容れない欲求が同時に存在してしまうからであり、

もしあなたが今のインターネットに息苦しさを感じるとしたら、

その原因はあなた自身にあるかもしれないのだ。